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「外国」の誤解海外で暮らすことによって日本のことを外から見るようになると、日本で暮らしているうちは気が付かなかったことに気が付くことになります。 最近日本で始まった「ここが変だよ日本人」という番組をビデオを送ってもらって見ているのですが、在日外国人の皆さんの目を通して観た日本を紹介していて、これが先に述べた自分の経験に共通するものがあって、思わずにやにやしてしまいます。 先日、「外国人への素朴な疑問」というコーナーがありました。ここで「日本人は外国に行った時に英語を話そうとするのに、なぜ外国人は日本で(日本語でなく)英語で話し掛けてくるのか」という疑問が紹介されていました。 番組の中では、言葉は文化そのものなのだから日本にいる以上日本語を話すのが当たり前だ、という風に意見がまとめられていたのですが、それはそれで良いとして、私にはどうしても引っかかることがあったのです。 紹介された疑問には、「不公平だ」と言う気持ちが含まれていると思いますが、大事なことを無視しています。日本人がタイやインドネシアに旅行する時にタイ語やインドネシア語を話そうとするでしょうか。やはり英語を話そうとするでしょう。ヨーロッパに行っても、各国の言葉で話そうとはせずに、英語で済まそうとするのではないでしょうか。(同じ番組で、パリのレストランでウェイターに日本語で文句を言っているおばさんが紹介されていましたが、これは傲慢、そうでなければ怠慢と言わざるを得ないと思います。) また、逆にタイやインドネシアの人たちが日本に来てタイ語やインドネシア語で日本人に話し掛けようとするでしょうか。フランス人でもフランス語よりは英語を使おうとするのではないでしょうか。 この事実を踏まえて考えれば、「不公平」は英語圏の人たちにしか当てはまらないことは明らかです。決して日本人だけが犠牲者ではありません。英語圏以外の人すべてがおなじめに会っているということです。しぶしぶかも知れませんが、世界の人たちが英語を共通語のように使っているおかげで私たちは助かっている訳ですから、感謝すらしないといけないのかも知れません。(それがいやなら、放っておいても他の国の人が日本語を習いたくなるように、日本を変えていかなければいけないでしょう。これはこれで大事なことです。) 私たちは、「日本人と外国人」という視点でものごとを捉えようとしがちです。外国という国は存在しないことは解っていても、日本以外のことを「外国」という概念でくくってしまいます。これは日本人に限ったことではないでしょうし、しかたがないことだとは思います。でも、世界にはいろんな国があっていろんな文化があることは決して忘れないようにしないといけません。また、自分をふくめてすべての人が、自分が住んでいる世界を中心に物事を考えがちなのだ、ということも頭の片隅においておいた方がいいでしょう。 アメリカ人に「英語が下手で恥ずかしい」と言うと、「あなたたちは自分の国の言葉の他に英語も話せてすごい。英語しか話せない自分が恥ずかしい。」と言われることが多いのです。少々下手だっていいじゃないですか。頑張って勉強しましょう。
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